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カワサキのメグロに会いに等々力へ行く
2020年11月13日、WEB上にUPされた一枚の写真。
そこには、KawasakiW800と思しきバイク…?。
しかしその背景には「メグロ」の三文字が!
このバイクが東京世田谷にあるKawasakiの旗艦店である「PLAZA等々力」に11月20日~24日まで展示されるというので、私は会いに行くことにしました。
有名な落語の一席に「目黒のサンマ」という噺がありますね。
かつて「サンマ」というあだ名のバイクもありましたが、このバイクは「MEGURO K3」。(笑)
恐らくこの噺の中身を知っているくらいの世代でないと、メグロの名声が轟いていた時代のことはわからないのかもしれません。
壇上の堂々たるMEGURO K3の姿。
これほどまでにノスタルジーを感じさせる新車の発表展示というのはかつてあったでしょうか?
しかし、WEB上でこのバイクを見た人の多くは
「え、これどう見てもKawasakiのW800でしょ?」
という反応が多かったのも事実。
また「Kawasakiがなんでメグロなの?」
という若い方々も少なからずいらっしゃるようです。
今回はそういった方々のために、『令和のメグロ』について語ってみたいと思います。
大正から令和へ、時代を継ぐバイクがある
恐らくメグロという会社の歴史からすると、私なんてまだ50そこそこのはなたれ小僧。
現代の大型バイク製造の礎となる技術を有していたというメグロとは果たしてどんな会社だったのか?
MEGURO K3を知るにはその歴史を知っておく必要があるようなので、暫しの間、タイムワープを愉しんでみることにしましょう。
Kawasakiを紐解けばメグロが見える
川崎重工のモーターサイクルを製造・販売しているKawasakiモータースジャパン。
もしもこの会社にドラえもんがタイム風呂敷をかけて60年ほど時を戻したならば、航空機の製造を手掛けていた川崎航空機工業と目黒製作所という2つの会社に分かれることになるでしょう。
『目黒製作所』(メグロ)という会社は1924年(大正13年)、村田延治と鈴木高治というふたりの革新者が東京市大崎区目黒村(現品川区)において、日本初の国産変速機メーカーとして創業した会社です。
1930年代初頭には独自の空冷OHV4サイクル単気筒498cm3エンジンを完成させるなど、その後も先進性と製品の信頼性で高く評価された会社で、創業当初から鋭意開発した競技車両を各地で開催される競技会等に出場させながら実績を積み上げるという企業スタイルを持っていました。
これはまさに、現代のKawasakiにも通じるスピリッツの原風景といえるでしょう。
メグロを紐解けばKawasakiが見える
1937年(昭和12年)、彼らは第一号車となるオートバイに「Z97型」と名付けて発売を開始し、ここから本格的なオートバイ製造に乗り出していきます。
つまり、これこそが今に続く「Z」の由来。
この「Z」というのは日本海軍において「奮励」を著すZ旗に由来し、
そのあとに続く97の数字は日本初の天皇(神武天皇)の即位から数えた皇紀2,597年から命名されたといいます。
ちなみに、昭和15年には皇紀2,600年を祝う行事が日本各地で催されたので、時代背景を考慮すれば、キリのよい2,600年を一つの目標としながら究極の品質に向かって奮起し、実に恭しい気持ちをもって皇紀の年をその名に刻んだということが想像できます。
その後も意欲的に研鑽を積み、警視庁に白バイとして採用されるなど、国産大排気量車の一大ブランドとしての信頼を獲得したメグロ。
戦後の1950年にはメグロ初そして国産初でもあるの250ccクラスモデル「ジュニアJ1」(最高出力7PS/4,000rpmの空冷4サイクルOHV単気筒248cm3)を発売しています。
ジュニアシリーズは人気を博し、これが後のエストレアのルーツとなっていきました。
今回展示会場となったKawasaki PLAZA等々力にはその発展モデル1954年製のメグロジュニア250のカットモデルが飾られていて、
恐らく当時最先端であったであろうエンジン機構を見ながら、デジタル以前の先人の知恵と技術に思いを馳せました。
今に轟く「メグロ」の名声
その後メグロは研鑽の場をレースに求め、鈴鹿8時間耐久レースの元となる全日本オートバイ耐久ロードレース(通称「浅間火山レース」)に出場しています。
その第2回目となる1957年のレースでは、各クラスに専用車(今でいうワークスマシン)を投入。
最大排気量クラスであるセニア級(500cc)ではなんと1・2フィニュッシュ&4位5位入賞という好成績を残し、優勝の#57杉田和臣選手が最速ラップをもって優勝するなど、スポーツブランドとしての名声を獲得するまでになりました。
恐らくそうしたメグロの名声をリアルタイムで知る人というのは御歳70、いや80代の中盤以降の先輩方になるでしょうか?
昭和10年生まれの私の父が生前、「昔のバイクと言ったらまずメグロだ、性能がいいバイクだったから白バイはみんなメグロだった」と話していましたので、1969年(昭和44年)生まれで、これまで実車を見たことが無かった私でも、メグロについては「高貴なバイク」というイメージをもっているわけです。
こうして調べてみると、親父の言う通り、巷の人々に語り継がれる品質をメグロは持っていたんだなと、改めて思い知らされました。
今進化するメグロの質感
一方のルーツとなる川崎航空機工業は戦前から航空機製造を手掛け、すべてにおいて妥協のない製品造りで空の覇者として名を馳せており、速度・操縦性・耐久性における信頼性は、今もなお受け継がれるKawasakiの伝統です。
メグロは1964年(昭和39年)にはKawasakiに「吸収」されるわけですが、沿革を探っていくと、この2社の探求スピリッツには似通ったところが多く、実際に吸収後も互いの技術をリスペクトしながら、しばらくはメグロの名を車名に残していたわけので、吸収というよりは「融合」という言葉の方がふさわしい気がします。
今回歴史展示として、「先代」となるカワサキ500メグロK2(以下K2)が磨き上げられた姿でMEGURO K3の前に飾られていました。
K2は日本のスポーツバイクにおける草分け的な存在。
メグロが保有していたフレームの設計・溶接技術などはその後のKawasaki大排気量車の礎となり、このバイクがその後のWシリーズの元となるわけですが、実車でこのバイクに間近で接してみるとKawasakiがいかにメグロの面影、ことにその質感を大切にしているのかが良くわかります。
この「K2」は、メグロとKawasakiが業務提携を結んび「カワサキ・メグロ」となった後の1965年に発売されたバイク。
K2のタンクにはKawasakiの「川マーク」と目黒のロゴが合体した形になっていますが、今回のMEGURO K3ではメグロのオリジナルロゴを採用。
しかもこれはプリントなどではなく、プレスされたアルミ板に職人が一つ一つ手仕事で塗装を施しているというのは驚きです。
またK2の タンクには「銀鏡(ぎんきょう)塗装」という独特な技法による塗装が施されていています。
これは、見る時や角度によって車体の印象をさまざまに演出する工夫で、銀鏡塗装は各車種に見られたメグロのアイコン。
今回のMEGURO K3でもその伝統は受け継がれ、壇上の照明に照らされながら非常に美しい光沢を放っていました。
令和によみがえった銀鏡塗装。
ここにはなんと、Ninja H2シリーズなどKawasakiがの上級車種に用いられる最新のハイリーデュラブル塗装が施されています。
これは紫外線を吸収しながら小傷を自己修復する最新の塗装技術なのですが、先端技術を駆使し、品質の良さで信頼を得ていたメグロの社風を想えば、「銀鏡塗装+ハイリーデュラブル塗装」はそれを尊重するKawasakiの姿勢そのものといえるでしょう。
ちなみに、メーターは「メグロ」のロゴがあしらわれたMEGURO K3専用のもの。
ステンレス製メーターリングには黒色酸化皮膜処理を施されています。
ETCアンテナが同じアングルに納まる時代的なコントラストが楽しいですね。
同じように、ハンドルバーにはグリップヒーターを標準装備。
この辺りも同様の楽しさが感じられるところでしょう。
また、このクラッチレバーは、握る力が軽くて済む軽くアシストクラッチ。
このクラッチは過剰なバックトルクを逃がしてくれるスリッパークラッチなので雨天や砂・砂利といったミューの低い路面でのシフトダウンも安心して行えます。
メグロK2に搭載されているのはWシリーズにも受け継がれているバーチカル(直立の意)ツインエンジン。
ベベルギア駆動のカム機構は1999年のW650から採用されたもので、空冷エンジンには厳しい現代の規制(ユーロ4に対応)にもマッチさせ、分厚いトルク感と歌うような心地よい独特なバーチカルサウンドを今も味わえることを喜ばしく思います。
ベベルギアのカバーの赤いアイコニックマークはサイドケースのロゴと共に「新しいメグロ」を感じさせてくれます。
メグロな部分はその他にもあり、K2と同じく白いパイピングが施された専用シートもその一つ。
よく見ると、MEGURO K3のリアサスペンションにはカバーがつけられていて、この辺りの雰囲気がしっかりと受け継がれているのがわかりますね。
その足回りはW800と同じもの。
しかし、Wの名を一旦忘れてあくまで「メグロ」として見るならば、前後のディスクにABSを備えた景色はK2の先の姿としてあるべきものなのかもしれません。
それは恐らくこの顔についても同じことが言えるでしょう。
もしもメグロがそのまま存続していたとしたら、ヘッドライトはやはりLEDになっていたのかもしれませんね。
「殿様乗り」を令和の世にも
W800をベースにするMEGURO K3。
諸元を比べてもエンジン出力などはまるで一緒です。
ただ、諸元上に表れている違いの中で、注目したいのはライディングポジションに関わる数値。
Wシリーズの中だけでも、その趣に合わせてこれだけバリエーションが用意されているのは驚きです。
全長×全幅×全高 | シート高 | |
MEGURO K3 | 2,190mm×925mm×1,130mm | 790mm |
W800 | 2,190mm×790mm×1,075mm | 770mm |
W800 STREET | 2,135mm×925mm×1,120mm | 790mm |
W800 CAFE | 2,135mm×825mm×1,135mm |
たとえ車体のベースが同じでも、ハンドル幅やシートの在り方が変われば、跨るライダーがそのバイクに対して感じる印象は大きく変わってくるものです。
それぞれの車種ごとに「味」を微細に作り込んでいるというのがここからも感じ取れますね。
MEGURO K3は専用のセッティングで、「メグロの乗り味」を表現しているのがわかります。
特徴はシリーズ中最も幅広で高めなハンドルになっていること。
これをW800ストリートよりもライダー寄りに引いた形にし、バーチカルツインの乗り味をゆったりと味わえるような演出がされています。
これは、K2までの時代に「殿様乗り」と言われて親しまれたライディングポジションを受け継ぐためのもの。
つまり、形こそW800と同じではあるけれども、MEGURO K3をメグロたらしめているのはその乗り味であり、ゆったりと豊な乗り味を愉しめる感覚は、「令和のメグロ」に相応しいものなのだと思います。
「伝統と信頼のメグロ」
K2がやがてWになり、WがまたMEGURO K3に。
単に「カッコイイ!」と直感的に買う人もいるかもしれないわけですが、やはりMEGURO K3は、このバイクがまとうストーリーや時代感を味わいたい方に求められるバイクなのではないかと思います。
「伝統と信頼のメグロ」
このコピーに込めた思いがひしひしと伝わってきます。
モビリティーの電化の波が他を淘汰したとしても、質を重んじるメグロの精神はこの先の時代にも脈々と受け継いでいってほしいものだと思いますね。
既に等々力での展示は終了してしまいましたが、下記の通りMEGURO K3に会えるチャンスはまだありますので、ぜひぜひ会いに行ってあげてください!
展示開始日 | 2020年12月1日(火) |
場所 | カワサキワールド |
住所 | 〒650-0042 兵庫県神戸市中央区波止場町2番2号(神戸海洋博物館内) |
休館日/開館時間 |
|
電話番号 | 078-327-5401 |
メーカーサイトでMEGURO K3を360°お好きな角度からご覧いただけますよぉ。
メーカー希望小売価格 1,276,000円
(本体価格1,160,000円、消費税116,000円)
発売日:2021年2月1日
販売店:カワサキ プラザ
映像・文献参照元;
MEGURO K3 | 株式会社カワサキモータースジャパン (kawasaki-motors.com)
Hisotory: W & MEGURO – The Original Icon Since 1924 | カワサキモータースジャパン特設サイト (kawasaki-motors.com)
MEGURO K3: W & MEGURO – The Original Icon Since 1924 | カワサキモータースジャパン特設サイト (kawasaki-motors.com)