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「復興フラッグ」を知っていますか?
私が東北は小鹿半島の金華山をバックに持っているこの旗。
みなさんは、この旗がなんの旗だかわかりますか?
これは2011年3月11日の東日本大震災の津波被害で壊滅状態にあった、福島県相馬郡・新地町の人々を励まし続けた「復興フラッグ」。
この旗は、ライダーの善意と機動力が築いてきた、被災地との絆の証なのです。
今回はこの「復興フラッグ」が取り持つ、素晴らしいライダーの交流についてお伝えしていきます。
「交流フラッグ」とは
もともとこの「復興フラッグ」は3・11の際、新地町での救援活動を展開していた岡山の自衛隊員の方が、がれきの中から小学校の名前の入った日の丸を見つけ、復興の祈りを込めてそれを人々の営みが消えた新地町のとある交差点に掲げたのが始まり。
その日の丸には、自衛隊福岡第2施設群の隊員の方々がよる寄せ書きが加えられ、
以降、風雨にちぎられながらも、2代目・3代目の旗へとその意思が受け継がれます。
やがて日の丸には、全国各地から復興支援に訪れたライダーたちによる励ましの寄せ書きも加わり、住民の方々を勇気づけていく復興のシンボルになっていきました。
現在の旗は、3代目の日の丸の劣化に気付いた地元のバイク愛好家たちが仲間に協力を呼びかけて、平成26年の元旦に掲げられた4代目。
みんなの笑顔と応援メッセージをデザインしたこの旗は『復興フラッグ』と名付けられ、震災の記憶と共に、たくさんの人々の絆をがここにあることを伝え続けています。
※復興フラッグは2015年8月下旬より新地町役場の敷地内に移設されていますが、もともと掲揚されていた魚釣地区の造成建設工事が完成した際には、2019年4月16日から供用されている「釣師防災緑地」のラウンドアバウト交差点付近に掲げられます。
フラッグとの出会いは、「東北復興支援ツーリング」
私が初めてこのフラッグの存在を知ったのは、2018年の6月。
千葉県大多喜町にある有名なツーリングスポット、「Cafe Club Bigone」が主宰する東北復興支援ツーリングに参加して石巻に行ったのがきっかけでした。
「え、そもそも、震災から7年もたってから復興支援ってどういうこと?」
きっとそうおっしゃる方もいますよね。
都市部に住んでテレビからの情報だけを見ていると、すでに被災地は復興を遂げ、震災は過去のものであるかのような印象を持つことがあるかもしれません。
しかし、実際現地に行ってみると、確かにインフラは徐々に整いつつあるものの、更地が目立つ地域もありますし、特に地元の経済復興はまだまだ道半ばといった状況です。
そんな現状を知ったBigoneは、2016年からSNSで参加者を募り、現地でガソリン・たばこ・酒、そしてお土産などを買うことで経済復興をお手伝いするツーリング、「東北支援ミーティングin石巻」を実施しています。
「経済復興のお手伝い」が主な趣旨ではあるのですが、地元の方々が期待を寄せるのは、お金を落としてくれること以上に、風評も含め、「都会で伝えられているのとは違う復興の現状」を県外から来た多くの人に肌で感じ取ってもらうこと。
これまで「東北支援ミーティングin石巻」では、そんな「被災地の心」を、参加ライダー各々がかみしめていくことで、被災地域の人々との深い絆を築いてきました。
このツーリングの中では、地元ライダーと親睦を深める機会も設けられています。
その中で、東北ツーリング団体で活動するhoshizouさんが、「復興フラッグ」を紹介してくれたのが、私とフラッグとの出会いでした。
hoshizouさんは、仲間と共にバイクで様々な街を訪ねながら、この旗の由来を伝える「復興フラッグキャラバン」の活動をしているライダー。
街を愛する人々と、復興に向けて機動力を活かして集まる多くのバイク乗りとの絆を伝え続けています。
「3・11だけが災害じゃないぞ!」
シビアにそういう人もいますよね。
しかし、このフラッグは多くの人々の力で壊滅から立ち上がった復興のシンボル。
hoshizouさんたち「復興フラッグキャラバン」は、その後に起こった数々の災害被災地にこのフラッグを携えて訪れながら、絆の力が真にあることを伝え、多くのの被災地を勇気づけてきました。
私は今年(2019年)6月にも、hoshizouさんと交流しながら、千葉のBigoneのメンバーとともに復興支援ツーリングに参加し、新地町庁舎前で元気にはためく現在のフラッグに思いを寄せてきたところです。
まさか房総半島が被災地になるとは…
そんな楽しい交流もあった東北復興支援ツーリングから3か月。
Bigoneのある房総半島を、令和台風15号が襲い掛かりました。
千葉上陸の際の勢力は中心気圧960hPa・最大風速40m/s。
関東としては過去最高クラスとも言われるこの台風は、多くの家屋を全半壊させ、ライフラインの寸断を招いたことで、千葉県を中心に甚大かつ長期的な被害をもたらしました。
我らがBigoneのある大多喜でも樹木の倒壊やがけ崩れといった大きな被害が相次ぎ、
Cafe club Bigoneもまた、お店までの一部ルートが不通となったり、
看板の倒壊や浸水被害を受け、数日間にわたる停電によって営業ができない日々が続きました。
しかし、傷ついた中でも、Bigoneはある力を振り絞り、移動店舗であるキッチンカーを被災した地域に出動させ、
水や食料をはじめ救援物資の配布など、復興支援活動に尽力していました。
これにはある種「魂」のようなもの感じましたね。
自粛を自粛して千葉に来てほしい!
特に被害の大きかった南房総市では、普段オーシャンビューを楽しむレストランの分厚いガラスが吹き飛ばされたり、そのほかにも観光で成り立っている町の被害は相当なもの。
それでも彼らは吹き飛ばされた屋根にブルーシートを張って、今も精いっぱいの営業を続けています。
そうした彼らの努力とは裏腹に、世間には「被災地に遊びに行くのは不謹慎では?」という自粛ムードが広がり、房総は今、経済的な大打撃をこうむって、復興の糸口をつかめずにいるところです。
つまり、「大丈夫です、とにかく千葉に遊びに来てください!」というのが地元千葉熱い要望。
これはもう、彼らの悲鳴といってもいいでしょう。
みんなで千葉を走ろうよ!
そこでBigoneでは、急遽房総ツーリングを企画してSNSでメンバーを募ることに。
当初は2019年10月11日(金)に行われるはずだったこのツーリング。
おりしも台風15号を上回る規模の19号接近のために、10月10日(木)に前倒しで行われました。
急な平日の企画、急な変更にもかかわらず、Bigoneの呼びかけに、ライダーが集まって、千葉への気持ちを込めて房総を走りました。
Bigoneで記念写真をパチリ。
ちょっと待ってください…、この写真のまん中に一人、すごい人がいませんか?
そうです!
毎年東北の復興を思ってやってきてくれる千葉の仲間のためにと、hoshizouさんが東北から夜通し走って駆けつけてくれたんです。
もちろん、新地のフラッグも一緒。
これにはBigone代表の道家さん(写真 左)も思わず眼がしらが熱くなったそうですよ。
「リスクとの付き合い方を知っているライダーだから」
2018年8月、私はバイクの業界団体と行政も方々が集まって今後のバイク界の方向性を話し合う、「バイクラブフォーラム(以下BLF)」の一関大会に参加しました。
この回のBLFの中では、「バイクと災害復興」もテーマの一つでした。
壇上でこれについて語ったのは、当時、雑誌「OutRider」の編集長を務めてた菅生雅文氏。
菅生氏は盛岡のご出身で、震災後にご実家と東京の編集部を何度も往復されながら、現地での災害復興活動に参加されていました。
当時、盛岡と東京とを行ったり来たり来たりとする福島の高速のPAやSAは、人の気配を感じないほどほどガラガラな状況だったそうですが、そんな中でも荷物を満載したライダーの姿はよく見かけたといいます。
それを不思議に思い、雑誌の中で東北ミーティングを行ったところ、数多くのライダーが集結。
菅生氏は彼らに「風評もあって人が来なくなっている福島に、ライダーはなぜ集まるのか?」という質問を投げかけてみたところ、
「ライダーはもともと、リスクとの付き合い方を知っている人たちだからだろう」
という話になったのだそうです。
私にとってこの話は、この回で最も印象深い言葉になったわけですが、そういったライダーの気持ちのもう一歩踏み込んだところには、バイク乗りを「社会悪」と呼びながら、アクションも起こさない自称「普通」な人々への反骨精神が源流のように湧き出していたのかもしれません。
Bigoneの活動のように(放ってはおけない)素直な気持ちを実直な行動に移せる気持ちの熱さ。
恐らくその源流も同じところにあるのでしょう。
つまりそれは、「リスクとの付き合い方を知っているからこそ差し伸べることができる温かい手」ということができるものでしょう。
そんなライダーの気持ちこそが、それを受ける人々に深く刺さり、やがて「絆」と呼ばれるものになっていくことを、hoshizouさん、そして復興フラッグは教えてくれているような気がします。
難しいことは抜きにして、とりあえずハンバーガーを食べに来てください。
Cafe club Bigoneは、肉厚の和牛ハンバーガーが飛び切りおいしいことで知られるライダーズカフェ。
木曜日が定休なのですが、そのほかにもイベント出店等でお休みになることがあるので、ご来店前にはあらかじめこちらにご連絡の上、お出かけになる方がよいでしょう。
Cafe club Bigone行ったことがない人はぜひ一度、行ってみてくださいね。