鈴鹿8時間耐久ロードレース。
いわゆる「8耐」は多くのライダーにとって、年に一度のバイクの祭典として多くのこれまで人々を魅了してきました。
1978年に第一回大会が行われてから、8耐も今年は40回記念大会となりました。
筆者が8耐を現地鈴鹿で観戦するのは20年ぶり(2度目)
今回は、その長い歴史の中で、「8耐は何を伝えたのか」について考えていきます。
目次
心の中にいつも8耐
8耐と言えば、みし奈昌俊さんの実況解説を思い出す人も多いでしょう。
今年筆者はネット動画でもテレビではなく、20年ぶりに8耐を現地観戦し、気迫のこもったエキゾーストノートと共に「あの声」をLIVEで聴いていました。
「8耐はいつから始まるのかというと、毎回チェッカーが降られた瞬間から次の8耐が始まる」
チームへのインタビューを集めながら、みし奈さんの解説はそのように「選手たちのの8耐にかける思い」を語っていました。
「終わったと同時に始まる」
選手はじめチーム関係者はもちろんですが、私たちファンも同じ思いですよね。
一年の計を8耐にしている人って、きっといらっしゃるのだと思います。
8耐の終わりは夏の終わりを予告して、もう3か月半経てば街にジングルベルが流れるぞと教えてくれる。
元旦で年が改まると、かじかんだ手をさすりながら「今年も8耐がやって来る」と思ってあの熱さを心の中のカイロにする。
オーバーかもしれないけれど、筆者の場合はいつもそう思っています
今回、「生の8耐」を観戦できた人も多かったわけですが、やはり「忙しくてどうしてもいけない」という人、むしろそういう方の方がはるかに多いんだと思います。
ただ、忙しくて鈴鹿に行けなくても、例え生中継のテレビが見れなくても、「今年も今この時間に鈴鹿で8耐やってるんだなぁ」と思うと、なんだか胸に「ポッと」小さな灯が灯る。
そうしたら少し元気が出てきたりして。
こうして8耐は、年中多くのライダーの心のなってくれているものだと思います。
8耐を懐かしむ
スポーツには数々の名勝負そして名シーンがありますよね。
8耐にもまた多くのファンの記憶に残るレース、名場面があります。
節目の40周年を迎えた2017年大会のテーマメッセージは. 「これまでの感謝を伝えたい、 この大きな感動で。」
今大会ではこれまで8耐を楽しみにしながら時代をともに過ごしてきたファンに感謝を伝えようという思考が随所に見られました。
そのひとつが「8耐ヒストリー”メガ”ミュージアム~40年の歴史をマシンと共に振り返る~」という展示。
普段ならメーカーやコンストラクタ-チームのミュージアムでしかお目に掛れないようなマシンたち。
第1回大会優勝のスズキヨシムラのGS1000から、昨年大会のYZF-R1に至るまでが一堂に展示されていました。
8耐優勝の為だけに毎年制作されるマシン。
毎年開発される新機構を装備したマシンは、バイクの技術レベルを格段に進化させたと同時に、ファンの毎年の8耐に対する期待度を上げていく要因でもありました。
それだけに、各マシンに群がるファンの年齢層やも様々。
それぞれのマシンを食い入るように見つめながら、そのマシンが活躍した当時を語り合う姿があちこちで見られました。
筆者のようなアラフィフ世代だとTECH21カラーのYZF750やRC45は涙が出るほど懐かしいのですが、もう少し先輩たちはヨシムラのGSX-R750だったり、モリワキのモンスターZでしょうか。
8耐をの殿堂が走る
1985年大会で、優勝も確定的だったワークスチーム、TECH21YMAHA(ケニーロバーツ・平 忠彦 組み)の駆るFZR750(OW74)
がチェッカーまでわずか29分という19:01に無念のリタイヤ。
これは「伝説のリタイヤ」として今も語られ、ホームストレート上にコンクリートにもたれかけるように止められたOW74と平選手のシーンは8耐の歴史的とともに語り継がれています。
今回は予選終了後の前夜祭には、ホームストレート上には1985年大会で平選手と組んだ、往年の選手キング・ケニーことケニーロバーツが当時のTECH21カラーのつなぎを着ています。
そしてなんと、計時板には残り29分の文字。
この時間から再び時計をすすめ、本戦終了時刻である19:30分まで、Ow74のデモ走行が行われました。
筆者撮影:写真は本戦前のレジェンドマシンによるデモランでのものです。
エキジビションではあるけれど、ケニーロバーツが32年ぶりにチェッカーを受け雪辱を晴らしたという、まさにタイムワープな演出。
今大会のテーマは「これまでの感謝を伝えたい、 この大きな感動で。」ということですが、筆者は『まさにコレだ!』と涙の出る思いでした。
筆者は当時まだ高校生でしたが、テック21カラーのYSR(50㏄のミニバイク)を買うためにこずかいを貯めていたのを覚えています。
例えばレースの記憶と共に、そういう若い日のことを思い出したりするわけです。
でも「8耐ってこの世代の懐古主義で終わっていいのか?」そんな思いも一瞬の脳裏をかすめました。
しかし「マシン全般が20年前に見た8耐とは明らかにペースが違う」。
それを感じたとき、夕闇が迫る頃には筆者の古臭い思いはどこかに行ってしまっていました。
200馬力オーバーの怪物エンジンをライダーの意思通りにコンピューターがサポートする今大会出走マシンたち。
進化は脈々と続いていて、まだまだ新鮮な驚きや興奮に満ちていて、「8耐は過去のものなんかではないんだ」
鈴鹿で筆者はそう確認していました.
伝われ!8耐
鈴鹿市の人口14万人に対し、約16万人が訪れたというのは1990年大会のお話し。
しかしその後は来場者が減少、一時期は観戦者数が7万人前後に落ち込んで伸び悩むこともありました。
そして今年は雨の大会にもかかわらず、公式に発表された8耐の総来場者数は12万8000人。
ちなみに現在鈴鹿市の人口は約20万人だといいます。
↑ グランドスタンドは、各メーカーカラーのペンライトをも持ったファンで埋め尽くされ、幻想的な風景でした。
今はバイク人口が1990年までの1/10~3/10くらいと言いますから、逆に割合で計算すると当時より盛り上がっていると言っていいのではないでしょうか。
とかく最近はバイク=中高年というような言われ方をします。
でも、今回の8耐では若い方の姿も多く見られました。
いわゆる「若者のバイク離れ」というのも、既にひと段落付いているのではないか?
恐らく年度末にでも数字をくくれば、上向きに動いているはずだと、筆者は今年の鈴鹿を観ながらその思いを一層強く持ちました。
実は筆者は、前に勤めた会社にバイトに来ていた大学生(今は会社員)の若い子とよくバイクを走らせています。
彼は今大会で初めて鈴鹿で生観戦をすることになりました。
「R1のご先祖様で古いバイクですけど、FZR750っていい音で走るんですねぇ」これが、前夜祭のキング・ケニーのチェッカーを見た、25歳の感想です。
筆者は、三栄書房刊「RACERS」誌volume9
RACERS volume9 (2011) (SAN-EI MOOK) 新品価格 |
で特集されていた内容(つまり1985年の出来事)を掻い摘んで説明しました。
すると彼は、「あぁ、だからこういうとになっているんですね」と感心しきり。
’86年にはTECH21カラーのYSRを買おうとしていた筆者ですので、それはそれは思い入れのある懐かしい場面。
でも同じこの場面を、新鮮な気持ちで興奮している若者の姿も横にあったわけです。
筆者が親に反対されながらバイクを夢見ていたあの頃から早32年。
今はこうして若い子と一緒に8耐を観ながら、8耐の興奮、バイクを若い世代と分かち合う楽しさ
これは格別です。
現地でなければ伝わらない「8耐の気迫」
関東人の筆者ですので、現地にはなかなか行くことができず、8耐観戦はもっぱらテレビか事後にDVDでということが多かったのです。
でも今回は40回記念大会。
傷害の 3/4をバイクに費やしてきた者として、『この節目の8耐にはどうしても絶対にその場にいたい。』
そう思っていました。
今回筆者が陣取ったのは、第一コーナー・第二コーナーそしてS字コーナーまでの3つのコーナーを堪能できる安いながらもちょっとラッキーな場所。
色々な障壁を乗り越えながらたどり着いた雨の鈴鹿サーキット。
そんな天候の中レースの内容も波乱含みのドラマチックな展開になって、コーナーで繰り広げられるクロスラインの際どいオーバーテイクに友人と大興奮。
やはり「鈴鹿にいる」という高揚感はテレビの前にはないんだなと思い、観戦にこぎつけるまで乗り越えてきた障壁を思い出しながら、感動も深まっていきました。
コーナーとコーナーの間に陣取ったせいもあって、前のバイクをかわすときに開くアクセルの音、そしてそのタイミングが「選手たちの気合」になって伝わってきます。
それは周回数も進んで、バックマーカーをかわしながら進むトップ選手の動きだったり、ライトを照らしながらもハイペースをキープするトップ集団の争いだったり。
テレビで見るのとは違う「音にこもった気迫」。
これが現地で見る筆者には未だに残像のように心に響きわたっています。
8耐が伝承するもの (まとめ)
頂点を極めようとする人たちの「気迫」そして「熱意」。
こうしたものが、まるで成果のように脈々と受け継がれ、文化としてそこにある。
そして、一人でも多くの人たちが、鈴鹿に足を運び、その「気迫」その「熱気」を受け止めること。
それが「8耐の姿」を伝承することなのではないでしょうか。
チェッカーと花火で今年の8耐は幕を下ろしました。
「8耐のチェッカーは終わりではなく始まり」
だとすれば、キング・ケニーのチェッカーも、次の世代にその熱意を引き継いで次に向かう始まりの合図に違いありません。